世界平和を目指して

人も動物も植物も幸せにするカウンセラー日記

おさなきころ

課題にもあった、子供の頃を振り返る。

(怖いなー、嫌だなー)

 

あんまり覚えてないのは「麻痺」しているのか、本当に覚えていないのかはわからない。

 

うーん、思い出したことないのかも知れない。

 

3歳くらいに両親が離婚し、父親の記憶は全くない。

離婚理由は、すぐに仕事を辞めてしまう父に嫌気がさしたとか。

これは祖父から聞いたもので、無職になったことはないのに、母は許せなかったんだねと言っていた。

 

私と弟は祖父母(自分の両親)に預けて働き始める。

母は次第に帰ってこなくなった。

彼と同棲していたらしい。

 

祖母はいつも

「お母さんみたいになるんじゃない。男のところにいりびたってみっともない。離婚はダメ人間のすること」といつも言っていた。

 

だんだんと帰ってこなくなった母のことを

「今日はお母さん帰ってくる?」が私の口ぐせとなる。

たまに帰ってくると、弟と母の取り合いになった。

そして、帰った次の日は朝起きるといつも母はいない。祖母から「もう仕事に行ったよ」と。

寝るのが嫌だった。

 

私と弟を、母の帰り道が見える家の窓の前で(なぜか部屋を真っ暗にして)祖母と3人で母の帰りを待つのが日課になる。

 

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幼稚園時代、ちょっと変わった子だったと思う。

幼稚園に行く朝は大泣き。

祖母は毎朝は大変だったと思う。

 

脱走もした。

(柵の隙間から抜け出せた)

今思えば迷惑極まりないと申し訳ない気持ちでいっぱいだが、、、

抜け出して幼稚園の隣で作ってる畑があり、その畑で土をいじって遊んでた。

冷たくて気持ちよかったのを覚えている。

 

園長先生に「今度外に出たくなったら、先生に教えてね」と言われて、言われた通りにしたら、園長先生の部屋で絵を描いたりして過ごすことに。

居心地がよかったのか、園長先生の策略にまんまとハマり、その日から脱走はしなくなった。

暇さえあれば園長先生の部屋に行ってた。

私の幼稚園時代は園長先生と共にあった…かな。

園長先生の部屋の黒いふかふかすぎてからだが埋まってしまうソファーに座ってた記憶がある。

 

そして、お友達とはあんまり話さなかった。

そのため私が声を発すらると、男の子が「せんせー、Abyがしゃべったよー!」と報告されて、また貝になってた。ナゾだ。

 

お遊戯会となるものも、集合写真には私だけ制服で写ってた。後から理由を聞いたら、「衣装を着たくない」と言ったため、担任の先生が判断したと聞いた。

私ひとりだけ幼稚園の制服で端の方に立ってた。

年長さんになった頃にはちゃんと写ってたから、これまたナゾのひとつ。

 

参観日にも祖母が来ていて、Abyちゃんのお母さん、おばあちゃんみたいって言われたのを気にしてた。

ちゃんとお母さんいるもん!って。心の中で。

 

やっぱり寂しかったよね。

 

小さなAbyの記憶。

こんなツタナイ記憶。