卒業と小さなわたし
おはようございます!
あなたの心の中の戦争を終わらせる愛と感謝のカウンセラーAbyです。
もうすぐ終わる根本師匠のお弟子さん2期。
もう大丈夫だと思ってるのに、また繰り返す記憶。
~抜粋~
強烈に内面に存在するのが「何かしなくては愛されない」というもので、裏を返せば「何もしなくても、ただ存在するだけで愛されるなんてことはあり得ない」という圧倒的な「無価値感」です。
つまり、「私なんて何も価値がない。だから、人のために犠牲をしなければいけない」と思い込んでいるのです。
実際のところ私たちは「誰かの期待に応える(失望させない)」「才能を発揮する」「誰かを喜ばせる」「与えられた役割をきちんとこなす」ことによって、自分に価値があると思い込んでいます。
これにより私たちは他人に対して「こんだけやったよ!」と承認を求めますし(承認欲求)、「働かざる者食うべからず」の概念が生まれるし、他者に対する不満が次々でてきます。
また、「こんなにも頑張ってるのになぜ楽にならないのだ」という葛藤にも苛まれることでしょう。
それから病気やケガをして動けなくなったとき、そうでなくても、無気力や燃え尽き症候群になったときに「私なんていなくてもいい」とか「みんなに迷惑ばかりかけて」と思うようになるのです。
ほんとうは逆でこの強烈な無価値感があるからこそ、病気やケガ、無力感などを引き寄せているのですけれど。
もうすぐ「卒業」でお弟子仲間もモニター様を募集して、どんどん離れていって、忙しくしている仲間においていかれるような感覚。
みんな違うステージに行ってしまった。って。
そして、ひとりぼっちになってしまう寂しさを思い出した。
※
幼い頃、母が帰ってこなくてずっと待っていた私。
もう大丈夫!とまた勝手に思ってた。
「卒業」と聞くとそれだけで、涙がでる。
お店に入って流れる卒業ソング、テレビから流れる映像、悲しい…と受け止める前に泣いている。
なぜか悲しくて仕方がない。
※
「いつ帰ってくるか分からない」
「次はいつ会えるか分からない」
毎朝幼稚園に行くのを泣いて拒否をしたのは、帰った時に母はいないから。
※
毎月お弟子仲間に会えなくなる。
大人になれば、会おうと思えばいつでも会える。
小さな私は母を見つけることは出来なかった。待つしかなかった。
私にとって「卒業」は寂しさだったのか。
「ひとりぼっち」
昔、母は言った。
テレビアニメの主人公が子供が見てもわかるような良い子で
「お母さん、Abyがこんな子になったら嬉しいな」
お利口にしていないから帰ってこないの?
アニメの主人公みたいにお手伝いしなかったから帰ってこないの?
もっといい子にしないと帰ってこない。
こんな記憶が蘇る。
「卒業」
晴れの舞台✨
輝く未来✨
門出✨
明るいイメージだと思ってたのに、寂しさや、ひとりぼっちの私が出てきた。
寂しかったね。
ずっとお家にいてって言えなかったね。
我慢して偉かったね。
小さなAbyに声をかける。
なぜこんな気持ちになるのか考えられるようになった。
昔はできなかった。
周りの人を悲しませないように明るく振る舞った。我慢してたんだね。
悲しいなら悲しいって伝えよう。
寂しいなら寂しいって伝えよう。
色んな感情を感じるたびになぜこんな気持ちになるのか考えてみよう。
そのたびに、自分を癒して行こう。
寂しかったね。って。
※
ココロの仲間ができた。
卒業のときに私は言う。
あのとき言えなかった気持ち。
ちゃんと伝えようと思う。
会えなくなるのやだー‼️
寂しい‼️
悲しい‼️
でも
大好きだー‼️
って。