生きていこう
みなさま、こんにちは。
暑い…
もう夏ですね…
我が家にはうさぎくんと、フェレットくんがいます。
2人とも高齢なので、穏やかに、健やかに過ごしてもらいたい。
そんな環境を作ってあげたい。
最期は幸せだったよって旅立って欲しい。
いつもそんなことを考えながら過ごしています。
※
大学病院で3月に検査を受け、先日検査結果を聞いてきました。
病院が混み合ってるため、5月にならないと予約が取れないと言われたのです。
通常は2週間で、結果が出るそうなのですが、一刻を争う場合や、重症化している場合は、電話で連絡しますと伝えられました。
2週間経って電話はなく、3週間経っても電話はなかったので、少しずつほっとしてる自分がいました。
結果、がんではありませんでした。
詳細は不明らしいのですが、心配ならまた数ヶ月後に検査を受けてくださいと言われて、予約を取って帰りました。
私自身この数ヶ月、少しの不安ともしそうだったらどうやって生きていこう…と考えながら過ごしました。
終活ですね。
私は、今のままで充分幸せです。
最期は家族や大好きな動物達に囲まれて旅立てたらいいなって思います。
この経験をしてから、もういい加減自分を大切にしたら?もういいんじゃない?
そう思えて、もちろん微力ながら、生きづらい子供達のために動物と触れ合うことで、生きる希望を見つけて欲しい…とは思っています。
しかし、そのために今の生活を犠牲にしてまではやれないと思っています。(私の場合、いい加減には出来ない性分でして、やるなら全勢力を注ぎたい)
病気もあり、無理が出来ない身体になって、ようやく気づかせてもらえたことです。
長かった…
もうずーっとずーっと、
役に立たないと生きてて意味あるの?
もっと頑張らないと!
そんな中途半端な気持ちで人の助けになれると思ってるの?
だから役に立たないんじゃない。
なんの取り柄もないのに。
やるなら完璧にやらなきゃ。
批判されたらどうするの?
普通の人にならなきゃ。
ずっと、自分自身にかけていた言葉です。
もう、いいんです。
これが私なんです。
中途半端でも、役に立たなくても、完璧に出来なくても、たくさん寝ないとダメでも、取り柄がなくても、いつも笑えなくても、全部全部私なんです。
動物は私が役に立たなくても、そのままの存在を愛してくれる。
だから、動物に依存していたのかも知れません。
そして、馬と出会って、考え方が変わりました。
馬もとても賢くて、愛溢れる動物です。
ずっと馬との関わりを模索していたのですが、
乗馬だけでは何か違うと思っていたところ、ホースマンシップというものに出会いました。
無理のない範囲で、馬の勉強をするつもりです。
期間は一年間です。
馬は群れで生活し、リーダーに従う動物です。
痛い思いをさせて無理に動かすのではなく、このリーダーについていこうと思ってもらうことが、信頼関係にも繋がります。
そして仲良くなれます。
すでに何度か牧場に行きましたが、馬のことを学べる最高の時間だし、とても有意義です。
何しろワクワクする!!
その牧場は、乗馬を主にしておらず、引退した競馬馬や、処分寸前だった乗馬の馬、研究馬として競馬に貢献した馬たちがいます。
牧場主さんは、乗馬させなくても、生きているだけで幸せになってもらいたいと考えていらっしゃるんです。
この牧場で、乗馬はしたことありません。
乗馬もできるのですが、乗馬うまとして第二の馬生を歩んでた馬が、人間の職業病と同じで、疝痛を患っている馬が多いのです。(お腹の病気です)
身体がボロボロになるまで人を乗せて、人を乗せられなくなったら、また処分の道しかないのが現実なんです。
だからこそ、できることをしたい!!
今は、そう思っています。
また変わるかも知れません。
身体もどうなるかわかりません。
でも未来を不安でいっぱいにしたり、自分責めをしたりする時間がもったいない!
今に集中し、今は馬の勉強をしたいと思っています。
ここ数ヶ月で色々あったけど、もう少し生きてもいいと生かされたこの命を、自分のために、大好きな動物のために生きたいと思います。
愛しているから、頑張ったんだ
みなさま、おはようございます。
続きです。
朝、8時から診察開始の婦人科で、9時には家に帰れるほどの診察時間でした。
フェレット君は帰ったらすやすやと寝ていたのを覚えています。
「治療はどうしようかな」
「痛いのとか、苦しいのは嫌だな」
「がん保険は…」
とか、色々考えていました。
旦那さんが仕事から帰ると
「延命治療はしなくていい」
「死んだら、この子たちと樹木葬にして欲しい」
「今いる我が家にいるうさぎくんとフェレット君は誰かに預けたりしないで最後まであなたが見てあげて欲しい」
「あなたは再婚してね。そして、子供も産んでもらえたらいいね」
と伝えました。
「え?死ぬの前提?なんでそんなに冷静なの?」
と言われました。
自分でもこの時はびっくりするほど冷静でした。
いつ死んでも後悔しないと思って生きてきたのですが、日が経つにつれて、
「死んだらどうなるんだろう」
と不安と恐怖であまり食欲がなくなっている自分に気が付きました。
「あ、私、生きたいのかも」
・・・気づいていませんでした。
今まで、いろんな病気や死んでもおかしくない暴力を受けてきて、
「いつ死んでもいい」って思ってると、自分では思っていました。
自分でも自覚がなくて、あまり笑えなかったり、食欲がなくなったことで気づいたんです。
ただでさえ寝不足だったし、フェレットくんがいつ旅立ってもおかしくない状態だったのもあって、余計に「私ってやっぱり生きる必要ないんだ」って思うようになっていました。
そして、これは偶然かもしれないけれど、
「ガンかもしれない」と婦人科で言われた日から、フェレット君の発作が頻発し始めます。
まるで、
「僕はもう逝った方がいいね。心配だもんね。」
って言っているかのように。。。
それから10日くらいで、お空に逝ってしまったんです。。。
ここから、また自分責めが始まります。
私のせいで、ごめんね。もう少し生きられたかもしれないのに。。。
ごめんね。。。
ごめんね。。
ある時フェレットくんが夢に出てきて、とても楽しそうにしていました。
世話の焼ける飼い主だね。
心配かけてごめんね。。
フェレット君のおかげで、人に頼ることができるようになり、
弱音を吐くことができるようになり、
助けてと言えるようになりました。
「命」は長さじゃない。
どれだけ、愛されたか、愛したか。それだけ。
ちょっぴりスピリチュアルな話になりますが、
亡くなった家族(お空組のフェレットたち)はいつも、亡くなった後にメッセージをくれます。
フェレットくんが亡くなってしまったのは自分のせいだと毎度のことながら自分責めをしているから心配してのことだと勝手に思ってます。
愛しているから、頑張ったんだ。
フェレット君は、こんなメッセージをくれました。
だから、後悔しないで。って。
生きてもいいの?
みなさま、おはようございます😊
雨が上がった後の香り。
とっても大好きな香りのひとつです。
アスファルトのちょっと焦げたような香りとか、土や草や木、緑の香り。。
梅雨の始まり、夏はもう少し。
この時期のこの香りが大好きです。
※
フェレット君の看病をしているときに、ずっと不正出血が続いていたのですが、慢性的な寝不足が続いていたので、きっとそのせいだよね…そんな風に勝手に理由をつけてそのまま過ごしていました。
おまけになかなか治らないテニス肘が実は関節リウマチと診断され(右腕の痛みはテニス肘だと思っていたのが実はリウマチでした)
服の着脱が出来ないし、コップさえも持てない、おまけに両膝も痛くなっきていて、階段の上り下りが非常に困難になっていました。←両膝に関しては運動不足だと思ってました…。
どれだけ、痛みを我慢してるの私。。。
私はもともと膠原病を患っており、自分の免疫を(良いものも悪いものも)自分で攻撃してしまう病気です。
リウマチになったことで、その免疫を攻撃するのを抑制する薬を飲むことになり、そのせいもあるのかも、、、(主治医の先生にも可能性はないとは言えないといわれていたこともあり)3か月ほど放置していました。
※リウマチの薬は、副作用がひどかったり、合わない可能性もあるので、毎月通院して、血液検査や尿検査をして、主治医と相談して量を調整してもらっています。
不正出血に関しては、個人差もあり、薬の副作用も様々です。主治医の先生からの説明は私が見聞きしてことで記載していますので、この記事だけで判断せずに、ご自身で検査を受けて、主治医の指示に従ってくださいね※
病院に行くにも、フェレット君を置いてはいけないし、どうしても自分のことは後回しになり、1か月のうちに出血しない日がないくらいまでになって(一応出血の記録をつけていました)やっと近所の婦人科を受診しました。
2週間後に、仕事中に見慣れない電話番号からの着信があり、折り返すと婦人科からでした。
病院「お話したいことがありますので、早めにこられますか?」
私「来週予約をしているのですが、それでは遅いですか?」
病院「はい。できるだけ早めの方が良いと思います。」
私「電話で詳細を聞くことはできないのでしょうか。」
病院「医師からの説明がありますので詳細はお伝え出来ないのですが、こうしてご連絡をしたということは、それなりの理由があります。早めにご来院をお願いします」
というやり取りがあり、早々に予約をして、来院しました。
婦人科を受診した際に、念のため、子宮頸がんの検査と、子宮体がんの検査をしていました。
なので、「それなりの理由」ということは「もしかしたらガンかもしれない」ということです。
診察室に入り、
先生「検査結果が思わしくないので、大至急大きな病院で再検査をしてください」
私「・・・がんですか?」
先生「今のところ、可能性があるということしかお伝え出来ません。もしがんであれば、こちら(当院)では手に負えないので、できるだけ早く大きな病院で検査を受けてください」
「え?がんなの?」
「フェレットくん、どうしよう…」
冷静な私がいました。
病院を出てすぐに、かかりつけの大学病院に検査の予約を取りました。
長くなりそうなので、続きはまた改めて。
健やかな日曜日を…✨✨✨
少しずつ、また一歩
すっかりご無沙汰してます。
Abyです。
コロナ禍で家にいることも多く、これからのことを考えて、考えて、ずーっと考えまくって過ごしていました。
そして、フェレットくんがお空に旅立ってから、心境の変化がありました。
まぁ、こうは書いていますが、常に心は変わっていくんですけど…。
何度もブログに書いていますが、役に立たないと生きていても仕方がないと思っていました。
生きているだけでいい!そのままで素晴らしい!
心理学を学んで頭では理解しているつもりでした。
でもやっぱり日常生活を送っていると、すぐに前の「その」状態に戻ってしまう。
感情を感じると辛すぎて生きていけなかったから気持ちを封印して、本当はしたくないこと、嫌なことを全部受け止めて、我慢して生きてきたから、そのクセはなかなか抜けません。ハイ。
でも、でも
もういいや!!
って。最近強く思うことがあって。
改めて、自分のワクワクすること、大好きなこと、少しずつ自分に許可を出していこうと思います。
何度も言ってるし、好きなことやってると思ったけど、まだまだ我慢してる。
ありきたりだけど、ありきたりじゃない。
精一杯生きて、せっかくの人生楽しまなきゃって思う今日この頃です。
たくさん寝ること、感情のままに泣くこと。
こんなことも自分に許可しなかったなんて、、、
いや、昔は「こんなこと」で片付けられなかったな。。
たくさん笑って、たくさんの動物を幸せにしたい。幸せになってもらう手伝いがしたい。
それが私の夢。未来。
美しく、しなやかに、力強く
生きる
天使
見るに耐えられない発作が何度も何時も襲い、30分と落ち着いた時間がなく本人もとても苦しかったと思います。
先生は発作時は頭がぼーっとしているから意識はない、とのことでしたが、目をまんまるに見開いて、呼吸は荒く、借りてきた酸素室にいても、とてもとても苦しそうでした…
31日の23時半頃に最後のご飯を食べてから、大声を上げて頭が背中に付くくらいのけぞる発作が続き、そのたびにグルコースやお水、発作用のお薬を口に含ませますが、おそらく含んだだけで、反対の口からもれてしまってました。。
その時の記憶が曖昧で、
ただただ、発作の時の対処をするだけしかできず、そばにいてあげることしか出来なかった。
苦しみから解放してあげたかった。
発作のたびに、
神様、もう苦しませないで
お願い!
これ以上、発作を起こさないで!!
もうやめて!
と泣きながら何度もお願いしました。
そして、
もう大丈夫だよ
安心してお空にいっていいからね
ありがとう
うちにきてくれてありがとう
と繰り返し伝えました。
空が明るくなり始めた頃、呼吸は更に激しくなり、発作も起こしながら、口を大きくあけて身体全体で息をしているようになり、だんだんと呼吸が小さくなっていきました。
旦那さんと交代して私が少し離れたときに、お空に旅立ちました。。
呼ばれて駆け寄った時にはすでに呼吸が止まってて…
もう苦しくないね。
ありがとね。
ありがとう。
ありがとう。
愛をたくさんありがとう。
大声で泣きました。
たくさんたくさん泣きました。
明日、お世話になった身体から卒業だね。
寝るのが寂しくて、悲しくて、抱っこしてるけど、冷たくなったフェレットくんにまた涙が止まらない。
いつも顔を近づけると舐めてくれて、用があるときは鼻をツンツンして呼んでくれて、うさぎのおもちゃが大好きで、洗濯ネットの中で寝るのが好きで、お腹を壊しやすくて、でも食べるのが大好きで。
7年と5ヶ月。
5ヶ月間はずっと病気と共に過ごしていたけれど、それまでは病気せずに元気でいてくれたね。
今度は心の中で思えばいつもいつでも会える。
分かってるけど、、、
寂しいよーー
悲しいよーー
もう、会えないのは辛い……
無
何度も何度も発作が続いてます
30分に一度は、大きな声で叫び、頭が背中に付くくらいのけぞる
ほんとに見てる方が辛い。
ご飯もたべなくなって、、呼吸も荒くなって。。
もう、いつでも大丈夫だから。
大丈夫だよ。
これからもずーっと一緒だよ。